「りんりん、コツッ、コツッ、コツッ、りんりん、コツッ、ドシン!」
その瞬間,僕はびっくりして小屋を飛び出し,思いっきりほえていた。
「ワンワンワンワン!」
人間の言葉で文句を言ってやりたいが,悲しいかな,僕がしゃべれるのは「ウゥ」と「ウォー」と「ワン」と,たまに「クーン」だけなのだ。何てったって僕は,ホワイトジャーマンシェパードというとても大きな犬なのだ。
犬どうしなら「ウー」と「ウォー」と「ワン」と「クー」をうまく組みあわせて、気持ちを伝えあえる。人間にも僕の言葉がわかる人もいるが、それはほんのわずかだ。
それにしても、いきなり近づいてきて、僕の小屋をけとばすなんて、失礼だ。文句の一つも言ってやりたくて、僕はしばらくほえつづけた。でも、何だか様子が変だ。
僕の小屋をけとばしたのは、つい先日、となりの家に引っ越してきた、小学校6年生くらいのとても可愛らしい女の子だ。女の子はいつも、肩かけカバンに鈴をつけていて,歩くとその鈴がりんりんと音を立てた。でも、その子が一人でいるのを見たのは、その日が初めてだ。前の日まではお母さんの右腕に左手をそえ、もう片方の手に白い杖を持って歩いていた。
たいていの人は、僕がほえると一目散に逃げていくんだけど、その子は逃げなかった。いや、逃げられなかったのかもしれない。白い杖で辺りを探りながら歩き始めたと思ったら、僕の小屋にぶつかった。それから向きを変えて歩き始めたかと思ったら、近くの生垣に突っ込んだ。そしてその場で、ぶるぶるとふるえていた。怖さと、悔しさと、悲しさの混じった顔が、僕の方を向いていた。その時になって、僕は女の子の目が見えていないことに気付いた。
僕は、女の子をどうにかなぐさめようと思って、やっぱりほえ続けた。
「クーン、クーン、ワン、ワン……」
僕は「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」って優しく言い続けたつもりだったんだけど、女の子はますますおびえるばかりだ。
そこで僕は、目の見えない女の子がここで困っていることを、人間の誰かに知らせなきゃいけないと考え、やっぱりほえ続けた。
「ウォー、ワンワンワンワン!」
遠くまで聞こえるように口を上に向けて、思いきりほえた。すると僕のご主人様がやって来て、
「こら、女の子が怖がってるじゃないか。」
と、かぶっていた野球帽を僕に軽くぶつけた。
ご主人様は、三十歳の男の人(一人ぐらし)だ。悪い人じゃないんだけど、僕の言葉はまったく理解できない。これで小学校の先生だっていうから笑っちゃう。でもこれで女の子は間違いなく家に帰ることができるのだから、まあよしとする。
ご主人様が女の子を無事に家まで送り届けた後、僕は、ご主人様を呼び止めた。
「ウゥーワンワン!」
ご主人様が僕を見る。僕は鼻先で僕の小屋をつつき、それからゆっくりと顔を右に動かしながら、軽くほえる。
「ウゥ、ワン。」
「わかったわかった、エサほしかったんだな、今やるからもうほえるのはおしまい。」
すかさずご主人様から返って来た言葉に、僕はぐったりうなだれる。僕は、女の子がまたぶつからないように、小屋を危なくないところに動かしたらいいじゃんって言ったのに、まったく伝わらない。
次の日から僕は、女の子が無事に家に帰って来られるか、とても心配になった。そして、どこかから鈴の音や、杖でコツコツとその辺をたたく音が聞こえてこないか、いつも耳を澄ますようになった。
鈴の音や杖の音が聞こえてくると、僕は大きな声でほえた。それからその音が近づくにつれ、声を小さくしていった。その後、女の子が家に入るのを見届け、小屋に戻った。
そんなことを毎日くりかえすうちに、僕はだんだんと、女の子と仲良くなりたいと思うようになっていた。この子と気持ちが通じあうようになったらどんなに楽しいだろうか。でもご主人様も女の子も、僕の気持ちに気付くことはないんだろうな。そんなことを考えるうちに、僕はせつなくなって、胸の辺りがきゅんとなった。
それは突然の出来事だった。もうすぐ陽がくれようとするころ,遠くからゴーッという音が聞こえたかと思ったら、地面がゆれ始めた。そのゆれは、だんだん大きくなり、やがて四本の足で立っているのが難しいくらいはげしくなった。
長い長いゆれがおさまって、ふと気づくと、近くの家の窓ガラスが割れ、かべがくずれていた。砂ぼこりがもうもうとまいあがり、何だかいやなにおいがする。何が起きたかわからないけど、とても大変なことが起きたということだけはわかった。
僕はふと、女の子のことが心配になった。地面は数分おきに、ゴーッという音を立て、その度にゆれがおそってくる。遠くからは、消防車のサイレンの音や救急車の音、空を飛ぶヘリコプターの音が聞こえてくる。その中で、僕は一生懸命鈴の音や、杖の音が聞こえてこないか、耳をすました。でも、いつまでたっても、鈴の音も、杖の音も、聞こえてこなかった。
夜おそくなって、ご主人様が帰ってきた。いつもは車なのに、その日はランプのような明かりを手にぶら下げて、歩いて帰って来た。真っ暗だったあたりが、ほんのりと明るく照らし出された。
僕はご主人様に向かって小さな声でほえ、誰もいない女の子の家の方へ鼻を動かした。それからまた小さくほえて、同じことをくりかえした。
その時、どこかで鈴の音が聞こえたような気がした。女の子かもしれない。僕は夢中でほえた。空に向かって力いっぱいほえた。
「ウォーワンワンワンワンワン!」
ご主人様はやっぱりかぶっていた野球帽を僕にぶつけて、僕をだまらせようとした。でも僕はだまらなかった。だまっちゃいけないと思った。女の子の家と空を交互に見ては、力の限り、ほえ続けた。
やがて、女の子が、僕の知らないお姉さんに手を引かれて帰ってきた。
「このワンちゃんの声のするお向かいが、私の家です。道に迷っている私に声をかけてくださり、それに家まで送っていただき、本当にありがとうございました。」
女の子の言葉を聞きながら、僕はほっとしたと同時に、心がジーンと温かくなった。
女の子の手を引いてきたお姉さんは、女の子といっしょに、だまってしっぽをふる僕のところへ来て、
「かしこいワンちゃんね。女の子が家に帰れるよう教えてくれてたのね!ありがとね。」
と言いながら、優しく頭をなでてくれた。
すかさずご主人様が、
「いやぁ、たまたまですよぉ、たまたま。」
とおちゃらけて余計なことを言う。僕は思わず小さな声で、
「ウー、ワン!」(うるさいなあ!)
とほえてしまった。すると驚いたことにお姉さんが僕の頭を軽くたたき、笑いながら、
「ご主人様にそんなこと言っちゃダメよ!」
って言った。(もしかして、この人は僕の言葉がわかるのかな?)不思議に思って首をかしげたら、頬を赤くしてお姉さんを眺めるご主人様が目に止まり、僕は思わずつぶやいた。
「ウゥ、ワンワン、ワン、ワンワン……」
(何をつぶやいたかは、想像してみてね。)
そしたらお姉さんは、恥ずかしそうに言った。
「私が君の言葉を伝えるんじゃなくて、このお兄さんが君の言葉をわかるようになったらいいんじゃない?もしそうなったら私、君とずっと一緒にいてもいいわよ。」
(この人、僕の言葉をきちんとわかってる。わかってもらえるって、相手に思いが伝わるって、こんなにうれしいことなんだ!)
僕はちょっと感動していた。そこへ女の子のお父さんとお母さんが帰ってきて、みんなで無事をよろこびあった。お父さんとお母さんは、お姉さんに、何度も何度も頭を下げてお礼を言っていた。
僕はその後のお姉さんと女の子と僕のやり取りを、一生忘れない。
「私もお姉さんのように、このワンちゃんの言葉、わかるようになるかなあ?」
女の子の言葉に、お姉さんが応じる。
「なるわよ。この子の肩を優しく抱きながら声を聞いてごらん。何を言っているかわかるようになるわ。」
女の子がおそるおそる僕の肩を抱き寄せてつぶやいた。
「私ね、君の気持ちがわかったら楽しいだろうなって思うの。」
僕が思わず犬語で応える。
「ウゥ,ワン、ワン!」(僕もだよ!)
「え、同じこと思ってたんだ、びっくり!」
「ほら、わかったじゃない!」
女の子とお姉さんのうれしそうにはしゃぐ姿に、僕もうれしくなった。その中でたった一人、僕のご主人様だけが首をかしげていた。
(この人が僕の言葉をきちんと聞き取れるようになるのは、いつの日だろう。でもそれはそう遠くない未来なんだろうな。)
僕は、みんながこの大変なことを乗り越えようと、本当の気持ちを伝えあおうとし始めたことが,何だかとてもうれしかった。
その日から7年が過ぎ、今、僕は大切な人たちに囲まれて、幸せに暮らしている。