私たちの身の回りには、よく吠える犬がたくさんいる。ある時には塀の影に隠れていて、それを知らずに2メートル圏内に足を踏み入れると、いきなりとびかからんばかりに吠え付いてくる。またある時には、御主人と散歩の途中で私を見かけ、吠え付いてくる。あっちでワンワンこっちでワンワン、そこを掘って埋蔵金が出て来たら、どれほど幸せかと考えつつ、そんなことはあり得ないと思うと、何だか腹が立つ。
 飼い主に文句の一つも言ってやりたいところだが、そんなことをしたら、こちらがよく吠える犬になってしまう。そういえば世の中には「よく吠える犬のような人」がたくさんいる。(特定の誰かのことではないので、笑ってスルーしていただきたい。)
 ところで、こうした犬は、うまく手懐けるに限る。とはいえ、こちらの思いをしっかり汲み取れるようにしようとか、その犬に気に入られようとか、前を通り過ぎる時に吠えないようにしようなどというのは、かかる労力に比べ、成果が期待できないので、やめた方がいい。だいたいこういうことをねらう人は、餌で手懐けようとする。そして餌を持った手を犬の前に出した瞬間、ガブリとやられる。さもなければ飼い主に吠え付かれるのがオチである。土台、よく吠える犬は、吠えることが仕事みたいなものだから、吠えないように赤の他人が仕付けるなんて無謀なことは考えない方がよい。ではどうするか。こちらの都合のいいように吠えてもらうのが一番である。
 2年前まで住んでいたおんぼろアパートのすぐ近くに、よく吠える犬がいた。この犬、憎たらしいことに、白杖をついて歩く私にだけ、猛烈な勢いで吠え付くのだ。
「白い棒を持っているからって、俺を泥棒と勘違いするんじゃない!」
そう心の中で毒づきながら、ふと面白いことを考え着いた。
 次の日から私は、犬から10メートルくらい離れたところで、両手をぱんぱんと威勢よく打ち鳴らし、それから白杖をついて犬の前を通り過ぎるようにした。
 三日後、犬は私の手の音を聞くと、吠え始めるようになった。そこで私は、毎日毎日少しずつ、手をたたく場所を、犬から遠ざけていった。終いには犬は私が100メートル離れたところから手をたたいても、ワンワンと吠えるようになった。
 私は「これはしめた!」と思った。なぜならば、わがおんぼろアパートの界隈は、道が入り組んでいて、全盲の私はその辺でよく遭難するからである。
 その後私は、帰宅途中で道に迷ったら、ぱんぱんと手をたたき、その合図で吠える犬の声を頼りにアパートに帰ることができるようになった。こうして私は、雨の日も風の日も雪の日も、わがおんぼろアパート周辺で遭難することはなくなった。
 そして2011年3月11日。この日、わが宇都宮の街は、震度六強の烈震に見舞われた。勤務していた栃木県立盲学校の耐震の校舎は、至る所、窓ガラスが割れ、エレベーターホールがそっくり20センチほど地面に沈み込み、床は波打っていた。プレハブの作業小屋は、全壊していた。目の不自由な教員は、送迎バスに乗せられ、宇都宮駅に送られた。駅は、電車が止まったために足止めを食っている人たちでごった返していた。
 白杖をつき、我が家に向かおうとした私に、見ず知らずの女性が声をかけてくれた。道路は至る所、物が散乱したり、ひび割れてでこぼこしたりしていて、盲人一人で歩くのは危険なので、家まで案内してくださるという。
 私はその女性に手引きされ、アパートに向かった。しかし、時折襲ってくる強い余震に気を取られたことと、目の見えている人と一緒にいることで油断してしまったため、迷路のような細かい路地の中で、自分がどこを歩いているのか分からなくなってしまった。
 ふと、よく吠える犬のことを思い出した。あの犬は大丈夫だったのだろうか。家からは200メートルくらい離れているはずだと思いつつ、祈るような気持ちで何度も何度もぱんぱんと手を打った。するとどうだろう。遠くからいつもより力強く吠える犬の声が聞こえてきた。私の目から、わけもなく涙があふれ出した。その瞬間、あんなにも憎たらしかったその犬が、かけがえのない愛しい存在となった。