『朝の風景』執筆にあたって                  南沢 創
 世界には,目の見えない先生がたくさんいます。目の不自由な先生は日本にも何百人かいて,私はその中の一人です。
 私は現在,栃木県の宇都宮市立中央小学校と言う一般の小学校で,音楽を教えています。おかげさまでとても幸せな学校生活を送っています。
 ところで,私が幸せな学校生活を送ることができているのは,ひとえに周囲のみなさんから強く支えていただいているからにほかなりません。もちろん私自身の工夫や努力もあるのですが,今の私の幸せは,周囲の方々が私の存在を認め,受け止めてくださっていることに起因します。
 ところで私は,今まで,どんなに努力しても,工夫しても,私の存在自体を否定されてしまうような環境に,何度も何度も追い込まれ,苦しい学校生活を経験してきました。そのトラウマとして,いつまた同じような目に遭ってしまうのかという不安と危機感が,常に私の心の片隅にあります。
 私は現在,『全国視覚障害教師の会』という,日本の目の不自由な先生方の組織する研修団体の副代表として,全国の目の不自由な先生方からのさまざまな相談を受けています。そして,本当に多くの目の不自由な先生方の,周囲の無理解に起因する大変な状況や悩みと向かい合っています。
 大変な状況や悩みを抱えた先生方の多くは,
「○○のできない自分が悪いんです。」
と言います。でもそれは,○○ができないその先生が悪いのではありません。目が見えなければできないことはたくさんあります。でも,できること,その人にしかできないことも,たくさんあります。
 真の共生社会は,その人のできること,その人にしかできないことをみんなで認め,私たちの生きている社会に活かすことで実現します。言い換えれば,周囲がその人のできないことをあげつらっている状況では,共生社会は実現しません。
 私は今まで,いくつもの無理解の環境で苦しみもがき,その中で出会ったごく少数の理解者の強力なバックアップにより,幸いにも今の職場では周囲からの全面的な理解と協力を得られています。
 そうした状況の中で,全盲の私がいることで実現していることには,大きな価値があると感じています。
 私は,南沢創という一人の視覚障碍者が,一般小学校と言う教育の現場で理解され,受け入れられていく中で実現してきた一つ一つのエピソードを紹介することで,真の共生社会を実現するために大切なことは何か,一人でも多くの方々に考えていただけたらと言う思いを込めて,本エッセイを執筆しました。最後までお読みいただけましたら幸いです。
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